講師について
音楽とともに心豊かな時間を育めるよう、丁寧な指導を心がけています。

講師
坂牧 あつこ
さかまき
【資格】
YAMAHA音楽教室システム講師
指導歴42年。これまでに延べ800人、3歳から80代まで幅広い年代の生徒を指導している。5歳からピアノを始め、山口短期大学ピアノ科および研究科を卒業。YAMAHA音楽教室、自宅教室を経て、現在、島村楽器ピアノ科コースで指導している。
音読みやリズム、指のトレーニングなどの基礎力を大切にし、一人ひとりの年齢や個性に合わせた教材と指導法で長くピアノを楽しめる力を育てている。また、生徒の意思を尊重しながら保護者と連携し、継続力や自ら学ぶ姿勢を育むレッスンに定評がある。
自身の子どもたちも、長女は東京藝術大学ピアノ科卒業後フランス留学、長男は早稲田大学交響楽団などで音楽を極めた経験から、親としての視点でもレッスンにアプローチできる。
大人の生徒さんには、ペースを大切にしながら無理なくフォームを整え、美しい音と読譜力の向上を目指した指導を行なっている。
生徒からは「先生に習うと絶対に上手くなる」「先生は、あきらめないで教えてくれる」「先生のおかげで音楽の道に進めました」「受賞で自信が持てるようになりました」との声が寄せられている。
これまでに、ショパンコンクールinASIA、ピィティナ 、全日本学生音楽コンクール、北本ピアノコンクール、千葉ピアノコンクール、国際ジュニアコンクール、グレンツェンピアノコンクールで、金賞、第一位、上位入賞、小中高校 合唱祭伴奏オーディションは合格100%の実績を輩出している。
また、長女は「音色が柔らかくて美しい」とスカウトされ、第60回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品 河瀬直美監督『殯の森』でテーマ曲と挿入曲をピアノ演奏にて参加、森の中で録音した。
人生100年時代、子どもから大人まで楽しめるピアノを地域に広め、世代を超えた交流の場になる教室づくりを目指しています。
プロフィール

ピアノを始めたきっかけ
山口県生まれ。公務員の父、後に陶芸家となる母と弟の4人家族。音楽家や書家など芸術を仕事にする親戚に囲まれて育ちました。音楽との最初の出会いは4歳の頃、母が私のために買ってくれたEP版と楽譜がセットになった子ども用の音楽全集です。ポータブルプレーヤーで一日中レコードを聴いていました。
お気に入りはチャイコフスキーのピアノコンチェルトやシンフォニー、「白鳥の湖」「くるみ割り人形」「ピーターと狼」「ペールギュントの朝」などで、音楽が流れてくると胸がギューっとなったりワクワクしたり、曲に合わせて踊ってみたり、どんどん音楽の魅力に取り憑かれていきました。そんな私がよく遊びに行っていたのが、近所のピアノがある老夫婦のお家です。そこで自由にピアノを弾かせてもらう時間が大好きでした。
聞いたメロディをピアノで弾いている姿をみて、そのお家の方が、「先生について習ってみたらどうかしら」とおっしゃり、「もう誰も使ってないから」と、アップライトピアノをくださったのです!こうして私はピアノを習い始めることになり、ヤマハ音楽教室に通うようになりました。
小学生になり、個人の先生のお教室に通うようになりました。指のトレーニングから曲集まで全部で5曲ほど課題が出ます。小学生にとっては、かなりの練習時間を要しましたが練習が嫌だった事は一度もなく、合格して次の曲をもらうのが楽しみでした。風邪で学校は休んでもピアノのレッスンには行っていたほどです。小学5、6年生の時は選抜で市の合唱団にも参加しました。
中学時代はテニスの強豪校で猛練習の日々。もちろんピアノも欠かさず練習を続け、その頃の発表会の写真には場違いなほど日焼けで真っ黒な私の姿があります。ハードな部活の練習が終わったある日、下校の合図の校内放送でショパンのワルツ第7番が流れてきました。ショパンのゆったりした短調の旋律の後に回旋するような煌びやかなワルツが流れてきた時、真っ赤な夕焼けとその旋律が溶け合い、あまりの美しさに時間が止まったように感じられました。その時、『将来の仕事はピアノにする!』と心に決めました。

挫折
ピアノの道に進むと心に決めていた私は、高校は音楽大学の附属高校を希望します。ですが、県外で寮生活になるため学校の先生と親に猛反対され、仕方なく諦めました。
高校生になり、次こそは希望の大学に行きたい!と、部活にも入らず、ひたすら勉強とピアノを頑張りました。しかし、いざ受験の頃になると親から「家から通えるところにしか行かせない」と言われ、またもや私の希望は叶いませんでした。その時の落胆、自分の希望を諦めなくてはならない やるせない気持ちは例えようもないものでした。
結局、地元の短大のピアノ科で学びましたが、私が求めているような刺激は微塵もなく、不完全燃焼で終わった2年間になりました。短大でもピアノはたくさん弾いていましたが、それでもパワーが有り余っている私は、お茶、お花、着付け、書道、お能のお稽古事に没頭し、先生方から美意識を授かりそれらを磨いていきました。

情熱で乗り越えて大成功した仕事
短大卒業後、地元の楽器店ピアノ科講師、YAMAHAシステム講師として働き始めました。並行して短大の研究科に進み2年間在籍、主にショパンを研究し卒業。学費は働いて工面しました。YAMAHAは3歳児から小学生まで、楽器店のピアノ教室では5歳から中学生までを教えました。
新任講師は僻地の教室に配属されます。引き継いだ時は生徒が2人しかいないクラスもありました。3箇所の教室で15人にも満たない教室に週3日、車で往復4時間かかる場所まで通いました。冬は雪の多い場所です。これまでの先生方は雪が降ると2、3週間お休みされていたそうで音楽教室は地元の人々に全く期待されていない場と化していました。
しかし、テニスで鍛えた根性とレッスンへの情熱が溢れている私は天気のせいで休むなんて考えられませんでした。レッスン帰りの夜道、吹雪でセンターラインが見えなくなると脇道に車を乗り捨てて、近くの‥と言っても山間部の真っ暗で人ひとりいない田舎道をハイヒールで30分歩いて駅に辿り着き、いつ来るかわからない単線のディーゼルカー(山口の在来線は現在も非電化線路)で帰ったこともありました。
1日もレッスンを休まない先生は私が初めてだったようで、次の年の募集では30人以上の申し込みがあり、グループレッスンの増設もされました。信頼は回復し、僻地で人気の教室になりました。
レッスンの終わりが21:00を過ぎる日は、グループレッスンの生徒のお母様が交代で夕飯のお弁当を作ってくださるようになり、30分の休憩時間を取り生徒達とおしゃべりしながら美味しい手作りのお弁当をいただいたり、お母様方と忘年会をしたり、レッスン以外でも深い交流が持て、忘れ難いほど幸せな4年間になりました。その頃の生徒が二人、大人になってピアノの講師になり、その僻地の教室で今もレッスンをしています。

レッスンに対する情熱
楽器店の他に短大時代から実家で開いていた自宅教室も人気となり、24歳の時に自分名義で市内の中心地にマンションを購入、楽器店も退職し、そのマンションで教室を続けました。経済的にも物理的にも完全に自立、独立を叶えました。
レッスンに対する情熱は、意外にも中学生テニス部のときに培われました。 中1で入部したときは市で最下位の学校でしたが、その年の6月に新しい先生が顧問に就任され練習方法がガラリと変わりました。秋の市大会では団体戦優勝、次の年からは県大会まで進み、団体、個人オール優勝、次の年は全国大会に行くまでになりました。短期間でここまでの成長を経験した私は、指導者の偉大さを知ることになります。
真剣に取り組むことの大切さ、桁外れの練習量、生徒の可能性を信じていつも励まし大切に思ってくださる大人として尊敬できる振る舞い、思いやり。私の根底には、この先生から受け取った情熱とマインドが流れていました。

転期
4年後、結婚を機に山口で築いてきたもの全てを手放し、電子ピアノと楽譜だけを持って千葉県に引っ越して来ました。娘と息子に恵まれ、専業主婦時代は子育てに没頭し、子どもとたくさん遊び、料理やお菓子作り、インテリア、ガーデニングを楽しみながら過ごしました。地域でたくさんのお友達もできました。自宅に子どものお友達を呼んでリトミック遊びをするようになった頃、近所のお子さんからピアノを教えて欲しいと言われ電子ピアノでレッスンを始めました。
電子ピアノではイメージ通りのレッスンができないので、その後、戸建てに引っ越し、グランドピアノを新調し本格的に教室を再開しました。

子育て
希望の大学進学の夢を絶たれ目標を失った20代、ある映画に出逢いました。
『ガイアシンフォニー・地球交響曲第一番』です。
枝葉の広がりが直径8メートル、1万個以上の実をつける巨大トマトの話です。「トマトは自分の知恵と意志を持っている。人間がトマトを育てるのではなく、トマトから学び、その成長を見守りサポートするだけでよい」。私は植物学者の言葉に、まるで啓示を受けたような気持ちになり「この映画のように子育てをしよう」と決心しました。
二人の子どもには人生の軸となる信念を持って欲しい。私がこれまでに経験したお稽古の師匠やピアノや部活の先生からは、いつも感動や美しさ、それを追求する姿勢を感じ受け取りました。私が身につけた全てを子に伝えたいと思い、子育ての指針に『真・善・美』を置きました。子どもとは、とにかくたくさん遊び、家族で食事を共にし、映画を見たり読書をしたり、料理をしたり、植物を育てたり、会話を大切に、生活が楽しく美しく活気のあるものになるよう工夫しました。

音楽に向き合う日々
長女は3歳からピアノを始め、絶対音感メソッドで有名なお教室やピティナの有名先生のレッスンを経た後、小学1年生から6年間、ロシア奏法をご指導くださる先生の元で学びました。その間、ショパン国際ピアノコンクールの審査員であられたヴィクトル・メルジャーノフ氏のセミナーに参加し、ロシア奏法や楽器の共鳴について学び、小学生で唯一コンサート出演に抜擢されました。その後も、モスクワ音楽学院教授のヴォスクレセンスキー氏のプライベートレッスンを受ける機会に恵まれ、氏の勧めでフランスで開催されたスクリャービンコンクール(子どものための)で優勝しました。
息子は高校までバイオリンを学びました。息子もプロのバイオリニストを輩出されている先生方の元で学び、フランスの偉大なヴァイオリニスト・指揮者でもある、ジャンジャック=カントロフのプライベートレッスンを受ける幸運に恵まれました。
娘も息子も、全日本学生コンクールでは東京大会最年少記録で全国大会に進みました。娘は東京芸術大学附属高校、同大学に入学、在学中にオーディションでYAMAHA奨学金を獲得し、卒業後フランスに留学。息子は早稲田大学に入学し、早稲田大学交響楽団の団長に就任、ヨーロッパツアーマネージャーも引き受け、コロナで中止になりかけたツアーを6年ぶりに復活させ成功に導きました。しかし、いつも順風満帆だったわけではありません。練習を積んでもレッスンでうまくいかなかったり、コンクールで結果が出せなかったことが何度も、何度もありました。
一番衝撃的だったのは、娘が未就学児カテゴリーで全国大会に進んだときの講評用紙に『f の音が汚い』とか『速ければ良いと思っているのですか』と記されていたことです。走り書きのようなその文字をみたときその場に立ちすくんでしまいました。ですが、これは指導者に投げられたメッセージだと受け取り、そこから私の探究が始まりました。親と音楽を教える両方の立場から原因を隈なく洗い出し解決方法を見つける努力をしました。
演奏家や演奏家を育てた親の著書をたくさん集め、音楽に向かう真の目的、ヨーロッパの宗教と音楽の結びつき、建築物と響きの関係、演奏が完成に至るまでの積み重ね、練習方法などを細かく調べました。また、1曲につき可能な限りCDを集め演奏家ごとに聴き比べをしてテンポチャートを作り、更にCDでは求めている音質が得られないと感じたときはレコードを探し、聴き、音質を記憶したり、あらゆるホールで演奏を聴き残響と曲の最適解を探したり、ロシア奏法を教わるときは納得できるように自分自身も先生のレッスンを受けるようにしたりと、様々に思い浮かぶ全ての事を調べ体験し学びました。そして、テニスで身についた市大会、県大会、全国大会に進むまでの練習時間などを掛け合わせて、目標達成までの独自のメソッドを確立しました。このことから、『失敗は可能性を広げるチャンスである』ということと、感動を伴う真の音楽を追求することの結果として、コンクールの受賞が付いてくることを確信しました。

指導での決断
子が素晴らしい先生方に出逢えた強運を自分だけの物にしてはいけない、その恩恵や失敗から学んだことを生徒やご家族にも伝えたいと思うようになりました。
私の教室に来てくださる親御さんは、ピアノを真剣に習わせたい、子どもに良い教育を受けさせたいと思ってくださっている方ばかりです。同じ親として、その気持ちは痛いほどわかります。その中には学校に馴染めなかったり、発達に問題を抱えているお子さんもいました。様々な個性を持つお子さんのポテンシャルを最大限に引き出すにはどうしたらよいのか。
考えた末に決断したのは「全員を自分の子どもと思って教える」ということです。
そこから、私のレッスンが変わりました。
生徒の個性に合わせて、かける言葉や教材を吟味し、練習量は話し合って決めるようにしました。「今、ここでつまずいているけど、自分の子なら、この子に何と言う?どんな言葉をかけて、どのくらいの期間何をやったら乗り越えられる?」と深く考えるようになりました。
音楽を理解するには理論やソルフェージュも欠かせません。教材は子ども達にわかりやすいように全て手作りしました。また、練習内容がはっきりわかるように、チェックシートやロードマップを作り、生徒が自分自身の目で、ゴールやそこに到達する道程を確認できるようにしました。ピアノは基礎練習と4期の楽曲を常に持つようにし、力が付いてきた段階で、努力を形で確認できるように、それぞれの生徒に合ったコンクールを選び上位入賞が果たせるように導きました。また、教室の生徒さんと保護者の交流にも力を入れました。
発表会の後は全員で会食やゲームをしたり、私の教室運営のコンセプトやマインドが伝わるように『ピアノ新聞』を定期的に発行し、お互いを知り、応援できるような環境づくりもしました。何年も前に卒業した保護者の方や生徒が後輩たちの発表会を見にきてくれたり、演奏してくれたりもします。プログラムも生徒の手作りです。保護者と生徒全員が私にサプライズで歌を合唱してくれた時は嬉しさで泣いてしまいました。
40年前の生徒さんとも未だに交流が続いています。自分の子どもと思って教えた結果、気がつくと大きな家族のようになっていました。これは何にも代え難い私の無形の財産です。

これから
2024年に山口の母の介護に通うために、一旦、教室を閉めました。それを知った母は亡くなる前に、私との思い出は「ピアノを一生懸命に習わせたこと、ピアノを辞めないで」と言いました。
大学受験の反対でわだかまりが解けていなかった私は複雑な気持ちになりましたが、反対したのは、生まれつき情熱的で好奇心が人一倍強い私が家から出ることの心配の表れだっのだろうと理解し、自分の中で一つの区切りをけることができました。
母が亡くなった後、その言葉を何度も思い出すようになりました。これまで培った経験を活かし、もう一度、ピアノの指導をしてみたいと思うようになり、還暦を迎えてから島村楽器の採用試験を受け合格。今は、島村楽器のピアノ講師として30人の生徒さんを指導しています。
また、これから松戸市のサロンで新しく自分の教室を開きます。ホールも併設されているサロンなので、新しく集まってくださる生徒さんと世代を超えた発表会を開いたり、高齢者施設にボランティア演奏に伺ったり、大人だけのゴージャスな演奏会を開いたりするのが目標です。
ピアノを譲ってくださったご夫婦や、多くの学びの機会を与えてくださった先生方のように、惜しみなく喜びや感動を分かち合える指導者であり続けたいと思っています。
各種実績
【生徒さん実績】
-
ショパン国際ピアノコンクールinASIA1、2年生の部 銅賞
-
ピィティナA2級全国大会
-
ピィティナB級全国大会 金賞
-
全日本学生音楽コンクール 東京大会1位、全国大会出場
-
北本ピアノコンクールC部門1位
-
千葉ピアノコンクールB部門 2位
-
国際ジュニアコンクールC部門3位、E部門2位
-
グレンツェンピアノコンクールB部門 全国大会金賞
-
小学校、中学校、高校 合唱祭伴奏オーディション合格100%
【その他】
・第60回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品
河瀬直美監督『殯の森』でテーマ曲と挿入曲をピアノ演奏にて参加(長女)
・心臓病のお子さんを救う会チャリティーコンサート出演(長男)
・高齢者施設訪問演奏5回
【生徒さん進学先】
東京藝術大学附属高校、東京藝術大学ピアノ科、パリ エコール・ノルマル音楽院、東京大学、早稲田大学、名古屋大学、日本大学、法政大学、洗足学園ジャズ科、上野学園音楽科、山口短期大学ピアノ科